宇都宮城に行ってきました。

またまた、体調があまり良くなく、ずっと、ブログをお休みしてしまいました。
ただ、その間も、雑誌の原稿や講座での講義は続け、何とかがんばっておりました。
現在、NHK学園で「関ケ原」についての講座をもっており、今月は二回目となります。
関ケ原については、ほとんど現地を歩いておりますので、現場から何が見えるかを中心にお話しております。
その関ケ原関係の現場で唯一行っていなかったのが、宇都宮城です。
こちらは、上杉攻めの徳川軍の本陣であったところで、秀忠が入っていたところです。
宇都宮からは、日光方面と白河方面から会津に入ることができ、本陣の場所としては最適の場所です。
私の記憶では宇都宮城の跡は市街地となり、城跡は消滅していたと思っておりましたが、宇都宮市は本丸の部分発掘を行い、本丸の半分を土塁と堀、塀と櫓で復元し、今は素敵な公園になっておりました。
願うべくはあと半分を発掘し、残りの堀と土塁、そして、二つの虎口も是非復元してほしいものです。
それでも、よくここまでやられたものだと拍手を送りたくなりました。
やはり、城があるとないとでは、町の風景が全然違うものです。
宇都宮から先、日光方面と白河方面に対して徳川方が上杉に向けてどのような陣城を築き、それに対して上杉がどう迎え撃ったについては、『北の関ケ原合戦』(洋泉社)に詳述してありますので、是非、お読み下さい。
ただ、言えることは、上杉征伐は決してパフォーマンスではなく、徳川軍は本気で上杉を攻めるつもりで最前線の城を大規模に整備普請し、上杉もそれを迎え撃つために領内に数々の防備をめぐらしたということです。
両者の国境付近に築かれた城塞に行くと、その緊張感が伝わってきます。

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