慶長の山城 関ヶ原松尾山城20

松尾山城に入った小早川軍15000が家康方となって石田方に攻撃をしかけたとしても、山麓には石田方の部隊、具体的には脇坂、小川、赤座の部隊がおり、それを阻むように配置されている。
小早川軍が松尾山城を下りたとき、まずそれらの軍と死闘を繰り広げなければならないことになる。
小早川の進軍に脇坂が情勢不利と見て、後方北の小山に兵を集めさせれば、反撃は十分にできる。
そうなれば、関ヶ原合戦ではこの攻防が最大の焦点となるはずである。
石田方の布陣はどれも強固で、それが破られるとしたら脇坂、小川、赤座が守る中山道の隘路しかない。
家康方としては、ここを集中的に攻撃すれば、勝利の道は開ける。
それゆえ、家康方としては、小早川への援軍が何より優先されることになる。
これにとまどれば、側面から小西・宇喜多・島津らの部隊から攻撃を受けることにもなろう。
その結果、戦いは乱戦になる。
簡単に決着はつかないことであろう。
それを避けるためには、家康方としては、松尾山の小早川と山麓部隊の衝突を避ける方途を取らなければならない。
実はここにこそ、家康方の考え抜かれた作戦があった。
そして、その目途がついていたがゆえに、家康方は関ヶ原に進軍が可能であったと考えられる。

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