真田家と六文銭29

そこから、真田幸隆、そしてそれ以降の真田氏は海野を詐称したのではなく、海野氏嫡流という立場を明確にしたものともいえる。
真田氏は幸隆はもちろんその子の昌幸、さらには孫の信之とまったく断絶することなく自らが海野氏であることに大きな誇りをもち、その流れを継承している。
それは何よりも真田家自身が海野氏を継承する家であったことを示しているとも考えられる。
真田幸隆が上州に逃亡していたそのとき、海野家の嫡子であった幸義は戦死し、当主の棟綱も没落し、海野の嫡流は滅亡の危機に立っていた
その再興ももうほとんど絶望的となっていた。
もし、幸隆が海野氏嫡流の血を引く人物だったとしたら、そのことに大きな不安を抱いたのは当然であったろう。
そして、そのことが、逆に、自らが滋野一族、さらにはその中心ともいうべき海野家嫡流の血筋を引く幸隆自身の誇りに大きな火をつけたと考えられなくもない。
幸隆は自ら宿敵村上氏を倒し、何よりもう一度海野本家を小県に復活させたいと思っていたことであろう。
さらに、幸隆はそれができるのは他の誰でもない、この自分をおいてはない。
そのためには自分自身が海野一族の運命をすべて背負って村上氏と戦うしかない、そう考えたのではなかろうか。

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