([諸国古城図」武蔵滝山城)

何回か前のNHK学園歴史講座で「戦国の城から近世の城へ」をテーマにし、「浅野文庫」所集の「武蔵滝山城」の絵図を見ていたら、新鮮な発見があった。
滝山城の各曲輪への虎口がことごとくといってよいほど枡形虎口になっており、それに伴って馬出も実に多いのである。
これほどの防御力を駆使した城は他に例を見ず、しかも、滝山城主要な空堀は「障子堀」であったことが予想されているのである。
残念ながら、小さな枡形虎口は現在では崩れているものもあるが、この絵図に重ねれば、かなり復元できるできるのではなかろうか。
さらに、曲輪を囲む空堀の発掘で「障子堀」が出てきたら、すさまじいほどの防御力のレベルの高さが証明されることであろう。
滝山城は多摩川側は切り立った崖になっているものの、旧滝山街道沿いはゆるやかな傾斜になっている。
この方面に防御を集中するのは当然で、枡形虎口、馬出、そして障子堀の多用もうなづけるというものである。
曲輪の中とは言わない。
せめて、曲輪を囲む空堀だけでも発掘調査はできないのであろかう。
障子堀がそこかしこから出てくれば、それだけでも、滝山城のすごさが何倍も実感できるはずである。
そう思わずにいられない。