松尾城入城者は西軍VIP

中国衆・毛利家の当主毛利輝元は西軍の最高責任者総帥として大坂城にいて豊臣秀頼を擁していた。
秀頼はこのときわずか八歳ではあったが、天下人秀吉の唯一の遺児であり、この時点では、家康をはじめ全国すべての大名の主君でもあった。この秀頼を手中にしたことで、三成方西軍は大義名分を得、家康方東軍を追い詰めていた。
松尾山城はその西軍総帥の毛利輝元が関ヶ原に出陣してきたときのために三成らによって用意された城であったと推定される。
毛利輝元なら西軍の総帥でありVIPにふさわしい人物であるといえる。
城が丁寧に築かれ、さらに、関ヶ原方面が異常なほど警戒されていることもそれなら理解できる。
松尾山への入城者は異常なほど警戒しなければならない人物であり、石田三成らにとって絶対に守らなければならない人物であり、、あの大きすぎるほどの立派な桝形虎口の門、櫓、馬出をわざわざ作ってまでも迎えなければならない人物。
それは西軍諸将の誰もが敬う人物であった。

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