10・30講演会より 豊臣包囲網の城④

近江を通る中山道を警戒し、有事には水運を使って京・大坂に駆け付けられる彦根に、石田三成の佐和山城を廃して彦根城を築いた。いずれの城も、馬出等を効果的に配し、戦う城となっているのが特徴である。
これらはほんの一部であるが、家康はこうして大坂周辺の要地に馬出を設けた戦う城を配して、豊臣家、そして西国大名たちを牽制したことが分かる。
以下は彦根城の図である。

馬出、縦石垣等防備に力を入れていることが分かる。
彦根城は当時彦根山にあった彦根寺等いくつかの寺社を移転して築かれ、家康の命で近辺の大名たちの手伝い普請によって完成した城である。
石垣の石には刻印がないところから、主に旧城の石垣や取り壊された寺社の礎石などを使ったとみられるが、当時、長浜城や佐和山城が廃されていることから、それらの石材、建物も解体されて使用されたことであろう。

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