真田の里を歩く1

真田町、現在は上田市に合併されているが、そこは長野県の北北東に位置し、西に上田市街、北東には鳥居峠を越えて群馬県吾妻郡と直接連絡する長野・群馬両県境の町である。
町の群馬県側には、スキーで有名な菅平高原がある。
上田市真田町は東京から上越自動車道を車で入らせ、所要時間約三時間半というところである。
真田町は「上田菅平インター」で降りて、国道一四四号線を左、つまり北西の方に向かったところにある。
車を走らせていると、すぐに「真田氏発祥の地」という大きな看板が見えるが、そこから先が真田町である。
真田町は見渡したところ、平地は少なく山ばかりの町という印象である。
周囲を烏帽子(えぼし)岳、四阿山(あづまやさん)、太郎山などという高山に囲まれた小さな盆地でその中央を清流神川が流れている。
町の名が「真田」というからには、もとからこの辺りには「真田」という地名をもつ大きな地域が存在したのかいうと、どうもそうではないようだ。
私は真田町に着くと、まず「本原」というところにある「真田氏歴史博物館」という小さな博物館を訪れた。そこは県道から少し入ったところにあり、周囲を木々に囲まれこじんまりと建っていた。
中に入ると、そこでは、真田氏を中心とした展示を一年中やっており、真田家の遺品や古文書、山城の模型が陳列されていた。
私が「ここに来るのは夢だったんですよ」というと、受付の婦人はうれしそうに「わざわざ東京からここに来られたんですか。」と言い、私に真田町で発行しているいろんなパンフレットや小冊子を見せてくれた。
たまたま、その中にある「さなだまちの歴史」という小冊子を見ていると、、その裏に真田町の歴史が簡単に書いてあった。
それによると、真田町は昭和三十三年(一九五八)、当時の長村、傍陽(そえひ)村、本村の三つの村が合併してできた町であり、有名な真田氏の出身地にちなんで「真田町」と命名されたのだという。
不思議に思ったのは、「真田」という地名が当時の村の名前にすらなっていなかったということである。
村の名というのはもともと古くからあった土地の名をそのまま名乗る場合が多い。
そのことから考えても、「真田」という地名が村の名にさえなっていなかったというのはどうも腑に落ちない気がした。

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