真田の里を歩く12

そのことから、何者かがこの墓石を「故意に破壊したか、あるいは隠滅をしたとも考えられる」(『真田町誌』)という結論に達した。
この墳墓は検出された石塔群の年代や同時に出土した古銭や土器、石皿、石臼などから真田幸隆以前の真田氏のもので、南北朝期の動乱以後の真田氏一族が葬られたものであると推定された。
しかし、いったい誰が何のために、真田氏の先祖と思われる墓を破壊し、隠滅したのでか。
また、なぜ、そんな必要があったのか。
現在、それらの墓石は発掘されたその場所に「日向畑遺跡」として元通りに復元され保存されている。
真田氏は戦国時代の真田幸隆から始まるとされている。
それではそれ以前はどうなっていたかといえば、それは確かな記録からはまったく分からない。
だが、現実には「日向畑遺跡」に先祖の墓があったのだから、真田氏の先祖は確かに存在していたはずである。
なのに、それがまったく分からないというのはまさに不可思議としかいいようがない
墓石の破壊は真田氏が自らの先祖を抹殺せんとした跡なのだろうか。
ただ、真田郷は天文十年(一五四一)に戦国大名村上義清らに攻められていることから、そのとき、そこにあった寺が焼かれ墓石が壊された可能性もある。
しかし、それにしても、墓石は破壊されたまま放置され土の中に昭和の時代まで長く埋もれていたのである。
この事実は、真田氏がそれを掘り返して自らの先祖を復活することなどまったくしなかったことを意味している。
やはり、真田氏は自分の本当の先祖は秘めておきたかったのであろうか。

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