佐和山城下「聞書」の謎26

「聞書」は井伊家の旧物破壊が「直政公、直孝公のお考えは、佐々木、又は石田時代より当所にあるものは一つ一つ潰していくということである。」という目的のもとに行われたことを述べ、さらに「郷中でこれまで所持してきた村方の書付、水帳類までも残らず取り上げた。その他、山村、田畑も昔から名有る所と評判の場所は一つ一つ取り潰して字までも変えてしまった。」(『彦藩並近御往古聞書』)と井伊家が古くからあった由緒ある場所を潰し、そこにあった字名まで変えてしまったことを伝えている。
以上のことから分かることは、まさに、石田家に関するものは、どんな小さなことでもその痕跡を留めないほどに徹底的に根こそぎ破壊され抹殺されていったということである。
石田村における石田屋敷の破壊、石田家の墓地・墓石の破壊も、このような石田時代の事物の破壊策の一環として行われたのであろう。
そこには、それを徹底して行っていった井伊家のすさまじいまでの執念を見る思いがする。
こうして、井伊家は佐和山入部に伴い、佐和山城を破壊し、佐和山城下にあった神社・仏閣を破壊し、城下にあった村を潰し、さらには、石田家時代の神事・仏事を禁止し、石田時代の文書を破棄し、さらには、石田家や佐和山城に関する一切の話をも禁じていった。

タイトルとURLをコピーしました