真田の里を歩く3

「真田氏歴史博物館」の受付をされていた婦人の話によると、今でもはっきりとした館跡が今も残っているのは真田町本原にある「御屋敷」と呼ばれる場所であるという。
その場所を聞くと、そこはここ「真田氏歴史博物館」から坂を降りたすぐのところにあるというので私はさっそく行って見ることにした。
「御屋敷」は正式には「真田氏館」という名で呼ばれ、正面の看板によると「真田氏館」は現在、長野県の史跡に指定され、近年発掘も行われたようで、そこからは土鍋や鉢、銭、さらには門の石垣などが出土したという。
だが、生活感のある遺物は意外に少なく、そこからこの館の使用期間があまり長くなかったのではないかと推定されているという。
館の周囲を歩くと、その形は正方形ではなく、北側の一辺のみが長方形に突出していることが分る。
これは「横矢掛け」で館に侵入しようとする敵に対して弓矢や鉄砲を撃ち掛ける構えを示している。
私がこれまで訪ねた福井県の一乗谷にある朝倉氏の館跡や山梨県甲府にある武田氏の館にはこんな構えはなかったことから、この館は戦国時代末期の様相を呈している気がした。
真田氏でも晩年の館なのではなかろうか。
館跡には、今でも高さ三メートルはある高く大きな土居が館の周囲をぐるりと囲み、大手門(表門)や搦め手門(裏門)など三つの門の跡などがよく残っている。
そこでは、郭内に植えられていた芝生が日に当たってさんさんと輝いていた。

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