満身創痍で川中島の山越えをしました。

BSTBSの「諸説あり」という番組の収録で、川中島の山を登りました。
これは、永禄4年(1561)の第四回川中島合戦で、妻女山に布陣している上杉軍を挟撃するために、武田軍が行った山越え、いわゆる「きつつきの戦法」のコースを実際に歩いて検証しようという試みです。
私は自らの著書『真説・川中島合戦』の中で、地形の上から「きつつきの戦法」は無理だったのではないかと書いておりますが、この番組ではそのコースを実際に歩いて、本当に無理だったのか、そして、妻女山の背後・周辺には大小の山城があり、そんな中で上杉軍は本当に妻女山に布陣できたのかを検証しようということになり、私もそれに参加することになりました。
コースは、松代町の象山から尾根伝いに鞍骨山に登り、そこから妻女山まで約6時間の山越えをするというものです。
実際に登ってみると尾根の傾斜が急峻で、また、途中、尾根が極端のやせ尾根になり、大軍の移動は不可能という結論に至りました。
さらに、象山は竹山城という武田方の拠点の城で、曲輪は広く、大軍を収容できる規模をもっております。
また、妻女山背後の最高所鞍骨山山頂には石積の要塞、「鞍骨城」があり、ここも、広い曲輪を有し、大軍の駐屯が可能になっております。
そこから、わざわざ山超えなどしなくとも、これらの城に武田軍の兵を置けば、それで妻女山の上杉軍に大きな脅威を与えることが出来ると共に、そこから妻女山を攻めればそれで済むのではないかとの思いをさらに実感いたしました。
ただ、今回の山越えは高齢者で心臓病の持病を持つ私にはかなりきつく、途中、急峻な尾根の登りでは何度も速度が極端に遅くなり、同行のディレクターさんやカメラマンさん、音声さん、そしてガイドの林先生に多大なご迷惑をおかけしました。
さらには、鞍骨城の深い堀切では斜面から転げ落ちてしまい、首と腰を打撲し、下りでは右膝を痛め、最後は痛みとの戦いでした。
まさに満身創痍の山越えでしたが、このような素晴らしい経験ができたことに心から感謝しております。
同行のスタッフの皆様、本当にありがとうございました。
この模様は11月11日に放映になりますが、カットされていなければ、ご覧になれます。
下の写真はそんな中で撮った貴重な鞍骨城本丸の石積です。

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