昔、佐和山に登ったこと23

石田町、かつての石田村では明治になるまでお正月になるとキリシタンの宗門改めと村に石田の残党がいないことを毎年証文で提出させられていたという。
「切支丹信者一人も無之候」と「石田三成の末孫一人も無之候」と連記された文書に村の全員に署名捺印をさせ提出させていたというのである。
木下さんの祖母はよくその話をしてくれたという。
そのことがよほど村の人々皆の心を傷つけ、くやしかったのであろう。
そのせいか、この村には昔から「石田」姓を名乗る人は一人もおらず、石田家の子孫、親戚縁者という人もまったくいないという。
本来、石田村というのは石田家の一族縁者を中心に構成されていたはずであろう。
その石田を名乗る人物が村から一人もいなくなってしまっという事実は江戸時代を通じて行われた石田家の残党狩りのすさまじさをそのまま表しているといえる。
三成は戦前まで悪者扱いされていた関係で、石田村の村民はずっと肩身の狭い思いをしており、木下さん自身も子供のころ、三成さんというのは本当に悪い人だったのだろうかと思っていたという。

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