昔、佐和山に登ったこと㉒

その日はなぜか留守の方が多く、やっと何件目かで、当時、顕彰会の副理事長をされていた木下さんという方と連絡が取れた。
受付の婦人は私を会館の座敷に案内し、「もう少し、待っていただけますか」というと冷たいお茶を出してくれた。
喉が渇いていたのでおいしくいただいた。
十分ほど待つと、小柄な男性が座敷に入ってこられた。
木下さんである。
木下さんは、物静かな感じで、年齢は七十代ということであったが、足腰もまだしっかりし、紳士然とした方であった。
木下さんはもの静かな中に何かその道一筋に生き抜いてきた剛さのようなものを感じさせる方であった。
私は木下さんに開口一番、「石田家の墓石を壊したのは、当時の石田村の村民でしょうか。それとも、彦根の井伊氏でしょうか?」と聞いた。
すると、木下さんは一瞬悲しげな顔をし、「誰がやったかは何の記録も残っておりませんので分りませんが、私共の先祖は絶対にそんなことはしません。するはずがありません。」ときっぱりと言われた。
「私共、石田町に生まれた者たちにとって石田三成は誇りです。今でも、この町では三成のことを『三成さん』と親しく呼んでおります。誰も呼び捨てになどする者などはおりません。それは、昔も変わらなかったと思います。」といい、祖母から聞いた話だがと前置きされ、石田村に伝わる話をしてくれた。

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