石田三成の不審

この南宮山をきついと思っているのは現代に生きる私だけではなかった。
実は、石田三成も豊臣家の奉行として当時大坂城にいた増田長盛に宛てた手紙の中で「毛利の陣所は垂井の上にある高山で、人馬の水もなく、人の上り下りもできないほどの山で味方も不審がっている。」と述べている。
「ほら、みろ、当時の武士である石田三成でさえ、南宮山がきついといっているじゃないか。」
私は少し自信をもった。
しかし、三成が不審に思うのも無理はない。
ここでは布陣に伴う一万六千の兵を支える日常の水や食料などの生活物資の運び入れすら大変な困難を要したであろうことは容易に想像できる。
まさに、三成が抱いた不審は実際に山に登ってみると心から納得できるのである。

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