昔、佐和山に登ったこと。

今からもう40年もまえになろうか。
私は司馬遼太郎氏の『関ヶ原』を読んで、石田三成の城があったという彦根佐和山に登りたくて、東海道線を乗り継いで彦根までやってきた。
佐和山の山麓は彦根駅の北東五百メートルほどのところにあり、徒歩で十分ほどで着いたのだが、ここは彦根の市街地と比べるとずいぶんうらびれた感じがした。
まるで別の町にいるようである。
確かに、ここは名神高速道路が通っていたり、旧中山道、現在の国道十八号が通っていたりと交通の要路で車の往来は激しいのだが、何かまるでそこだけ時代に取り残されたようにひっそりとしている感じがした。
佐和山は、国道十八号線を眼下に見下ろす海抜二三三メートルの山である。かつて江戸時代までは、中山道から彦根城に向かう彦根道がこの佐和山の峠を通っており、井伊家の大名行列や朝鮮からの使節もその峠道を通ったというから、交通上、また軍事上も重要な山であったに違いない。
事実、この山は江戸時代は一般の出入りは禁じられていたようである。
現在、その峠道は廃止され、佐和山にトンネルが掘られ、車がこの山の下を一日中行き来しており、車の往来は激しい。
私は、いよいよこの山に登ろうと思い、登山道を探したがそんなものはどこにも見あたらない。
また、それを示す看板も見あたらない。そのため、一時間近くも山の周りをぐるぐると歩き廻ってしまった。
後で知ったことだが、当時も、佐和山の案内板のようなものは存在したらしいが、ひどく破損したり、倒れていたりしてそのままになっており、見つけることができなかったようである。
平成十六年の夏に久しぶりに佐和山山麓を訪れた際には案内板も遺構の説明板もちゃんとあった。
さて、山麓には民家が何件かあったので、登山道を聞いてみたが、不思議なことにどの家を訪ねても登山道を知っている家などまったくなかった。
聞けば、どの家も山麓に住みながら、すぐ裏の佐和山には今まで一回も登ったことはないという。
確かに、そばに住んでいると「灯台元暗し」ですぐ近くにある山などには登らないのかもしれない。
だが、そのうちの一軒は私の顔を怪訝そうに見て「この山は危険だから登るのはよしたほうがよい。」と忠告までしてくれた。
いったい何が危険なのか、その理由は教えてはくれなかったが、そう言われるとよけい登りたくなるのが人情というものである。しかも、山下から見る限り、佐和山は昨日登った岐阜城に比べるとそんなに険しい山には見えない。
そこで、山下から木々を伝って山の斜面を直登することにした。

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