古墳と城

青山学院大学名誉教授であられた故櫻井成廣先生は日本の城郭研究の草分けの一人であった。
私は、当時、先生が執筆された幻の豊臣大坂城の本がなかなか手に入らず、失礼とは思いながら、思い余ってご自宅にお電話をし、本を譲っていただいたことがあった。
そのご縁で、その後も、何度か、ご自宅をご訪問させていただき、先生が製作さられた安土桃山時代の城郭の模型を見せてもらったり、貴重なお話を聞かせていただいた。
先生は戦時中築城本部に所属され、日本の城の研究や発掘に携わっていたそうで、安土城天守台の発掘も先生のグループが最初に手掛けられたそうである。
当時、安土城の天守台はすっかり土に覆われており、外見は土饅頭のようであったそうである。
先生は、安土城天守台はもともと古墳を利用したものではないかとの見解をもっておられました。
実は、その後、私は地元の研究者の案内で、浅井氏の小谷城の付け城である虎御前山の織田信長軍の城砦を見せていただいたことがあるのですが、多くは古墳(円墳)をそのまま利用しておりました。
また、小谷城の「本丸」と呼ばれる石積の天守台のような土台を見たとき、これも、古墳を利用したものではないかと思いました。
そういえば、川中島妻女山の奥にある上杉謙信陣跡とされている場所も、古墳をそのまま利用したものでした。
大坂夏の陣で真田信繁が赤備えの兵を置いた茶臼山の陣も前方後円墳であることは有名ですが、当時はこうして古墳をそのまま利用することが多かったことが分かります。

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