真田家と六文銭24

真田屋敷跡から出土している中国銭は最も古いものが唐の時代(六一八~九〇七)の開元通宝、最も新しいものが明の時代一四〇八年から鋳造が始まった永楽通宝であったことから、この中国銭が埋められたのは、一四〇八年以降ということになる。
全国で埋蔵銭の調査を行っている永井久美男氏の時代区分によれば、最新銭が永楽通宝の場合は一四〇八年~一四二三年までの十五年間のうちに埋められた可能性が高いという。(『真田町誌』)
永井氏の説を採れば、それら中国銭は室町時代初期の応永年間に埋められたことになり、それは何よりも真田屋敷には幸隆以前から真田氏が住んでいたことの証明になる。
そこでは、幸隆が真田屋敷を改修することはあってもそこに初めて屋敷を構えたことにはならない。
真田村甲石の地には幸隆以前の真田氏も住んでいたことになるのだ。
その意味で、『加沢記』の記述も他書と同じく「幸隆が海野の地から真田郷に移り住んで初めて真田氏を名乗った」という説と同様のものであることになる。
また、『甲斐国志』にも「幸隆、海野棟綱の次男なり。幸隆はじめて小県郡真田に遷居して氏となす」とある。

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