真田家と六文銭23

比較的信憑性の高い資料と言われている沼田真田家の家臣であった加沢平左衛門が江戸時代天和元年(一六八一)以降に著したとされる『加沢記』にも、幸隆は海野棟綱の次男で棟綱がその領地の内、真田、小日向、横沢、原郷、荒井など三百貫目の土地を譲ったことにより、真田村甲石に屋敷を構えたとある。
さらにその郷の鎮守は白山権現であり、それは先祖である清和天皇の第五皇子である貞元親王の建立であるとしている。
この加沢平左衛門が『加沢記』を著した背景には、天和元年(一六八一)に主家である沼田藩真田家が改易されるにあたって、主家の正確な歴史を書き残すことにその目的があったと思われる。
それだけに内容は文書類など正確な資料に基づいて記述されているとされている。
平左衛門自身も現地を歩いたり古老などからの聞き取り調査を行って自ら資料を集めたふしがあるという。
だが、この歴史的に正確な記述を基とした『加沢記』においても、幸隆は修験の神である白山権現の鎮座する真田村甲石に屋敷を構えたということになっている。
しかし、この真田郷にあった屋敷跡からは中国銭が大量に出土しているという事実がある。
そこから考えると、真田屋敷は幸隆以前から存在していた可能性が高いのである。

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