家の系図を作り変えることは江戸時代の大名にとっては日常茶飯の当たり前のことであったことも一方では事実である。
というのは、江戸時代の大名というのは島津氏や毛利氏など一部の名門を除いては秀吉、家康という天下人のもとで時流に乗って勃興してきた勢力で、その先祖などは氏素性すらはっきりしない者が多かった。
そこで江戸時代の大名たちは系図を勝手に作り変えて、自らの先祖を高貴な存在にしてしまうことがよくあった。
それは、自らを天皇の落とし胤と称した豊臣秀吉、自らを源氏の名門新田氏の流れを受け継ぐとした徳川家康の二人の天下人とて例外ではない。
そのことから考えると、真田氏が小領主でしかなかった自らの先祖を捨てて、信濃の名族海野氏の直系の流れを汲む者と自己主張しても何の不思議はない。
ただ、真田氏の場合は他の大名とは少しばかり事情が異なっている。
真田氏は他の大名のように便宜上、つまり単に系図の上だけで海野氏の直系を名乗っていたのではない。
真田氏はもっと徹底的に、言葉を代えれば、完全に海野氏に成り切っていたともいえるのである。