真田の里を歩く11

この平場にはかつて真田家の菩提所であったとされる「松尾山常福院」という寺があったという。
しかし、現在は何もなく、古い阿弥陀堂が隅にぽつんと一つ建っているだけである。
ここは長い間畑になっていたが、昭和四十六年(一九七一)、その畑の耕作の折り、多くの墓石や古銭などが発見された。
町の教育委員会が発掘してみると、そこからは石造五輪塔十一基分、宝篋(ほうきょう)印塔六基分が出土した。
その場所は五輪塔と宝篋印塔を中心とした墳墓で、下部には火葬された人骨が埋葬されていた。
中には真田家の家紋である六道銭として納められた古銭を含んでいたものもあったという。
ただ、不思議なことは、火葬骨が埋葬された墳墓は二十三箇所発見されたが、これに対応する五輪塔や宝篋印塔は不完全なものが十六基見つかっただけであったという。
そこでは、発掘された宝篋印塔や五輪塔はどれも完全な形をしているものはなく、さらに数も本来あるはずの数よりは少なかったということになる。
そのことから、何者かがこの墓石を「故意に破壊したか、あるいは隠滅をしたとも考えられる」(『真田町誌』)という結論に達した。
真田氏の居館跡にあることから、この墳墓は真田家のものと考えられるが、一体誰がそれを破壊したのであろうか。

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