自然地形と見分けがつかない戦国の山城

戦国時代の山城というのは、江戸時代などの城と違って城壁に石垣を使うことはあまりない。
それは、築城技術が未熟だったこともあるが、石垣の石を山の上まで運んだり積み上げたりするのに大変な労力と時間を要するからである。また大量の石の調達も難しい。
それでは、どうしていたかというと、山や峰の頂などをならして、本丸、二の丸のような曲輪という平らな空間を作り、そこに建物や倉庫を作り、その周りに水のない堀(空堀)を掘って防備を固めた。また、堀を掘って出てきた土を、郭の周囲に盛り固めて土居とし、山の斜面を垂直に削って(切岸)城壁にするなどした。
これを後の「石垣の城」に対して「掻き揚げの城」という。
しかし、自然地形を利用したり土で固められた城は、それが使われなくなってから何百年も放置されている間に風雨にさらされ、土砂で堀が埋まったり、土居や斜面が崩れ自然の地形とまったく同化してしまっていてほとんど見分けがつかなくなってしまっている。
  普通はそれを城の遺構とは思わず、ただの自然の地形と思ってしまうことであろう。
 城の遺構が建設や開発の際に破壊されてしまったというような記事を時々見かけるが、城の遺構と自然地形とを見分けるのはとても難しい。そこが文化財などに指定されてでもいれば、注意を払うことであろうが、そうでない遺構は、現時点ではそのような事故が起きても不思議ではない。
 また、現地調査で城のあった場所を尋ねても、地元に長く住んでいる方でも「ここにはそんなものなんかないよ」と城の所在すら知らないことがほとんどである。また、たまに城の所在を知っていても「あそこにいっても何にもないよ。」と答える方がこれまたほとんどである。
 普通、城といえば、大坂城や姫路城のような高い石垣、華麗な天守閣、立派な門のあるような城を思い浮かべるのだろうが、あれは織田・豊臣時代から作られた大名の城であり、戦国の城は建物は瓦など使われない茅葺か板葺き、門も木戸に近く、城壁は土、堀は大きな溝のようなもので、城というより砦を想像した方が実態にあっている。
 また、当然、その城跡にも高い立派な石垣などはなく、城壁も自然地形と見分けがつかない。
 まさに彼らにとっては「何もない」のである。
だが、その城跡に実際に行ってみるとそこには見事な空堀があったり、城の周囲を囲む土居がきれいに残されていることなどがよくある。何もないどころか、豊富な遺構が残されていることの方が多いのである。
このように、自然の地形と人工的な城の遺構を見分けるのは大変に難しい。それは場数を踏まないと無理で、長年にわたる経験とそこで培った鋭い勘が必要となる。

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