真田の里を歩く5

『上田市誌』には、この「字真田」の古い地図が掲載されている。
(『上田市誌』より)

それをみると、山家神社門前ともいうべき「真田」には上州(群馬県)と信州(長野県)を結ぶ上州道が通っていたことが分かる。
「真田」という場所は古くから交通の要所であった。
『真田町誌』によれば、山家神社は白山信仰の神社であり、白山信仰は「寺院の僧侶ではなく、当時の農民の生活全般の中に受け入れられ、その中で力をのばし成育していた山岳信仰の山伏修験者たちによって次第に民間の中に広められてきた」という。
「真田」という地域はそれら山家神社・白山寺の修行者、山伏たちが信濃と上州を自由に行き来し、その教えを広めるための重要な交通の要でもあったということになる。
そこは、たくさんの人や物資がさかんに往来し、様々な情報が行き交う場所であり、その賑わう山家神社門前の真っ只中に真田氏の館は存在していたということになる。

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