真田の里を歩く7

真田氏といえば、大坂の陣で真田幸村のもとで活躍する「猿飛佐助」や「霧隠才蔵」などの忍者が有名だが、この話は戦前「立川文庫」が『真田十勇士』の中で作り上げたフィクションであることはいうまでもない。
しかし、実際の真田氏は出浦対馬守、富田郷佐衛門、来福寺左京、唐沢玄蕃、馬場主水などという忍者を使っていたことが分かる。
この中には出浦対馬守のようにかつて武田信玄に仕えていた忍者もいるが、来福寺左京という忍者はその別名を「千蔵坊」とも称したことから修験者であったことは間違いない。
真田氏は「不思議なる弓取り」と称され、変幻自在な戦いを駆使して信州上田城や大坂城で徳川軍を大いに悩ませた。
その真田氏の変幻自在な戦いを陰で支えていたのはあるいはこの修験者たちであったのではなかろうか。
そういえば、真田信繁(幸村)が大坂城に入城するときも修験者の姿を取っていたとされている。
真田町にある山の中の小さな地域「真田」は修験者ゆかりの地であった。
まさに真田氏は古くから「不思議なる弓取り」であったのである。

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