真田の里を歩く4

三つの館跡の中で最も古く、真田氏の発祥の地と考えられているのが「字真田」という地名の近くにある館跡である。
地名からも、そこが真田氏と大きな深い関係にあった場所に違いない。
江戸時代中期元禄年間に著された『つちくれ鑑』という書物によれば、その「真田」という場所は昔から「真田殿代々御屋敷」と呼ばれていたという。
しかし、現在そこを訪れても表面からは館の跡を示すような遺構は何も見えない。
僅かに土居らしき跡とその周囲の道路のくぼ地が堀がかつてそこが堀であったことを示しているに過ぎない。
だが、聞くところによると、この場所から、昭和二十二年ころに中国銭の永楽通宝が大量に出土したというから、そこには大量の銭を使用することのできるような大きな勢力をもった氏族、つまり真田氏の館があったのではないかと推定されているというのだ。
真田町によると、現在残るわずかな遺構からその館の規模を推定すると約百メートル四方の方形の館になるというから、そこも結構大きな館であったことが分かる。
この館跡のすぐ近くには山家神社、白山寺という真田町を代表する古い寺社がある。
そこから、真田氏の初期の館跡はなぜかそのすぐ門前にあったということになる。
しかし、この館跡は他にない特徴を持っている。

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