2020-06

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真田の里を歩く6

山家神社は、当時、修験者たちの拠点であった。 修験者、山伏といえば高下駄を履いて、杖を武器にして、木から木へ、岩から岩へと飛び移る「天狗」に代表されるように、険しい岩山などで厳しい修行を積み、強靭な肉体をもち、棒術や刀術なんどの武術に長け...
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真田の里を歩く5

『上田市誌』には、この「字真田」の古い地図が掲載されている。 (『上田市誌』より) それをみると、山家神社門前ともいうべき「真田」には上州(群馬県)と信州(長野県)を結ぶ上州道が通っていたことが分かる。 「真田」という場所は古くか...
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真田の里を歩く4

三つの館跡の中で最も古く、真田氏の発祥の地と考えられているのが「字真田」という地名の近くにある館跡である。 地名からも、そこが真田氏と大きな深い関係にあった場所に違いない。 江戸時代中期元禄年間に著された『つちくれ鑑』という書物によれば...
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真田の里を歩く3

「真田氏歴史博物館」の受付をされていた婦人の話によると、今でもはっきりとした館跡が今も残っているのは真田町本原にある「御屋敷」と呼ばれる場所であるという。 その場所を聞くと、そこはここ「真田氏歴史博物館」から坂を降りたすぐのところにあると...
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真田の里を歩く2

そこで、私は車に戻り、持ってきた長野県の地図で「真田」という地名を追ってみた。 すると、真田町を縦断し、群馬県に抜ける国道一四四号線に「真田」という信号があることがわかった。 さらに、その近くで「真田」の地名を細かく追っていくと、「真田...
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真田の里を歩く1

真田町、現在は上田市に合併されているが、そこは長野県の北北東に位置し、西に上田市街、北東には鳥居峠を越えて群馬県吾妻郡と直接連絡する長野・群馬両県境の町である。 町の群馬県側には、スキーで有名な菅平高原がある。 上田市真田町は東京から上...
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対上杉徳川最大の前線基地 那須黒羽城

(那須黒羽城縄張図) (洋泉社『北の関ケ原合戦』より) 大田原城と並んで徳川軍による大改修が行われたのが黒羽城で伊奈主水が普請奉行として城の改修にあたった。 黒羽城は、那須地方では一番の巨城で、その城域は現在確認できるだけでも二キロ以...
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対上杉前線基地那須大田原城

(那須大田原城縄張図) (洋泉社『北の関ケ原合戦』より) 対上杉最前線の基地として徳川軍によって大改修されたのが那須大田原城である。 この城は奥州街道の渡河地点を押さえる地点に築かれており、軍事的にも重要な城である。 二の丸・本...
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伊王野城2

この城の特徴はまず何といっても100メートルは続こうという切岸である。 これを見ただけでも戦意は消失しそうである。この切岸上には塀や柵が設けられ、そこから鉄砲や矢で狙われていたことであろう。 一番大きな南の曲輪は周囲を土塁が巡り、虎...
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対上杉徳川最前線の城 伊王野城

芦田城と並んで、那須地方の最前線となった城が、国衆伊王野氏の城を徳川軍が改修した伊王野城である。 この城は、会津と那須をつなぐ二つの街道の合流地点に位置する。 徳川軍にとってはどうしても押さえなければならない城である。
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