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『社頭古絵図』佐和山城天守の鑑定

 そのように、両説はそれぞれ一長一短を有しており今でも決定的な決め手はない。  ちなみに、筆者は、『社頭古絵図』から写した天守閣の絵を拡大して、当時、東京八王子市郊外に住んでおられた青山学院大学の故桜井成廣名誉教授を訪ねた。 桜井教...
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佐和山城天守は想像図か

 彦根藩が江戸時代に行った聞書によれば佐和山城の天守は「五重」であったといい、その点が少し食い違ってはいたが、少なくとも、その外観は「大坂の陣屏風」に描かれている大坂城の天守を小さくしたような桃山風のしゃれた建物であり、西明寺のものよりはず...
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「社頭古絵図」の佐和山城

何回かの押し問答の中で筆者がわざわざ東京からこの絵図を見るためだけに神社を訪れたことを知った神官は「負けた」という顔をして、「普段はこんなことは絶対にしないんですが、今回は例外中の例外、本当に特別ですからね。」と何回も念を押して、私を中に...
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多賀大社「社頭古絵図」

多賀大社は西明寺のある甲良町からさらに東に三キロほどいった多賀町にある滋賀県随一の神社で「伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)と「伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)」を祭神としている。 ここに向かったのは、『彦根市史』の中で多賀大社に伝...
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幻の佐和山城天守閣を探し求めて

そこで、私は三成時代のこの幻の佐和山城天守閣を探し求めて、この二つの寺社に足を運んだ。 まず最初に訪れたのは彦根市から五キロほど南に位置する滋賀県犬上郡甲良町にある湖東三山の名刹西明寺である。この西明寺には江戸時代 中期に石田三...
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佐和山城の雄姿1

 佐和山城については、江戸時代中期の享保十二年(一七二七)に彦根藩主井伊家が家臣たちに命じて城の伝承についての聞き取り調査を行わせている。  それによると、佐和山山頂には約八メートルほどの石垣が築かれ、その上には五層の天守閣が建てられてお...
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破壊された佐和山城

 私はその後も、年に二、三回は佐和山を訪れ、山の正面、背面など、考えられるあらゆる方面から山の斜面をよじ上って探査した。だが、それでも城跡を示す何の痕跡も見つけることなどできなかった。  ある時などは、岩ばかりの山の斜面をロッククライミン...
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佐和山2

その彦根市の観光の目玉である彦根城は現在は市の所有財産となっているが、かつての城主は井伊氏である。 その井伊氏は、初代直政が慶長六年(一六〇一)に彦根に入ってから現代まで、四百年間もの間、その当主が代々彦根市に在住しており、最近までその井...
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佐和山

滋賀県彦根市に「佐和山(さわやま)」という名の山がある。 普通、「さわやま」という音は「沢山」と書きそうであるが、なぜかこの山は「佐和山」と書く。 この山の名の由来は、近江源氏佐々木氏の一族で佐保頼綱という武士の屋敷が山の近くにあった関...
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 海津城外郭の土居は大林寺の墓地の中

そういえば、『長野県町村誌』に「今の大林寺と大英寺の間に、少しのかき上の様成跡あり」とあった。何と、海津城の外郭の土居もまだ残っていたのだ!顔はいかついが、どこまで親切な住職さんなのであろうか。このような人に旅先で会うとほっとするものである...
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