「社頭古絵図」の佐和山城

何回かの押し問答の中で筆者がわざわざ東京からこの絵図を見るためだけに神社を訪れたことを知った神官は「負けた」という顔をして、「普段はこんなことは絶対にしないんですが、今回は例外中の例外、本当に特別ですからね。」と何回も念を押して、私を中に案内してくれ、特別に実物を見せてくれた。
本当に例外中の例外だったのだろう。
今思えば、よく見せていただけたものだと思う。
「社頭古絵図」は長い絵巻物であり、その隅に山頂の木々に紛れて城の天守閣と隅櫓と思われる二つの建造物が並んで描かれていた。そこには、確かに「澤山城」という白い付札が貼られていた。
私は案内してくれた神官に「なぜ『社頭古絵図』に佐和山城が描かれているのですか。」と尋ねると、その神官は「当事、佐和山城のそばに多賀大社の末社である千代宮があった関係で城が描かれているのだ。」と教えてくれた。
つまり、佐和山城は多賀大社の末社である千代宮のそばにあったため、ついでに描かれていたのだ。
だが、ついででも何でもそこに佐和山城が描かれていたという事実は何よりも貴重である。しかし、絵図に描かれている天守閣は小ぶりでどう見ても三層にしか見えない。

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