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真田の里を歩く9

先にも述べたが、昭和二十二年ころに真田館跡から約二千枚にもわたる中国銭の永楽通宝が出土している。 また、そこには現在も矢竹の茂みが残っているが、矢竹の茂みはこの近辺では館周辺だけに残されているという。 矢竹は文字通り矢の材料となる竹であ...
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真田の里を歩く8

『上田市誌』に「字真田」の古地図である「小県洗馬組兜石郷真田村絵図」という絵図が掲載されていることは先に述べたが、そこからは、山家神社西の門前には上州(群馬県)と信州(長野県)を結ぶ上州道が通っていたことが分かる。 「字真田」は古くから交...
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真田の里を歩く7

真田氏といえば、大坂の陣で真田幸村のもとで活躍する「猿飛佐助」や「霧隠才蔵」などの忍者が有名だが、この話は戦前「立川文庫」が『真田十勇士』の中で作り上げたフィクションであることはいうまでもない。 しかし、実際の真田氏は出浦対馬守、富田郷佐...
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真田の里を歩く6

山家神社は、当時、修験者たちの拠点であった。 修験者、山伏といえば高下駄を履いて、杖を武器にして、木から木へ、岩から岩へと飛び移る「天狗」に代表されるように、険しい岩山などで厳しい修行を積み、強靭な肉体をもち、棒術や刀術なんどの武術に長け...
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真田の里を歩く5

『上田市誌』には、この「字真田」の古い地図が掲載されている。 (『上田市誌』より) それをみると、山家神社門前ともいうべき「真田」には上州(群馬県)と信州(長野県)を結ぶ上州道が通っていたことが分かる。 「真田」という場所は古くか...
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真田の里を歩く4

三つの館跡の中で最も古く、真田氏の発祥の地と考えられているのが「字真田」という地名の近くにある館跡である。 地名からも、そこが真田氏と大きな深い関係にあった場所に違いない。 江戸時代中期元禄年間に著された『つちくれ鑑』という書物によれば...
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真田の里を歩く3

「真田氏歴史博物館」の受付をされていた婦人の話によると、今でもはっきりとした館跡が今も残っているのは真田町本原にある「御屋敷」と呼ばれる場所であるという。 その場所を聞くと、そこはここ「真田氏歴史博物館」から坂を降りたすぐのところにあると...
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真田の里を歩く2

そこで、私は車に戻り、持ってきた長野県の地図で「真田」という地名を追ってみた。 すると、真田町を縦断し、群馬県に抜ける国道一四四号線に「真田」という信号があることがわかった。 さらに、その近くで「真田」の地名を細かく追っていくと、「真田...
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真田の里を歩く1

真田町、現在は上田市に合併されているが、そこは長野県の北北東に位置し、西に上田市街、北東には鳥居峠を越えて群馬県吾妻郡と直接連絡する長野・群馬両県境の町である。 町の群馬県側には、スキーで有名な菅平高原がある。 上田市真田町は東京から上...
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対上杉徳川最大の前線基地 那須黒羽城

(那須黒羽城縄張図) (洋泉社『北の関ケ原合戦』より) 大田原城と並んで徳川軍による大改修が行われたのが黒羽城で伊奈主水が普請奉行として城の改修にあたった。 黒羽城は、那須地方では一番の巨城で、その城域は現在確認できるだけでも二キロ以...
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