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大友宗麟の居城丹生島城

最盛期は九州六ヶ国を支配した戦国大名大友宗麟でしたが、平地にある大友館は守るに堅いものとは言えない状況でした。 確かに、大友氏は詰めの城として高崎山城という大きな山城を有しておりましたが、宗麟は政治拠点と防衛を兼ねた居城の必要性にかられ、...
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豊後府内大友館の復元整備

大分市の一等地にあった戦国大名大友氏の館跡が全面発掘されて、今度、優雅な庭園が復元されました。 庭園は戦国時代屈指の大きさで、最盛期九州六か国を支配した大友氏の館にふさわしい趣向を凝らしたものであったことが分かります。 また、大友館は主...
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大分大友氏の館の発掘保存はすごい

私が三年前に訪れたときは、まだ、庭園が発掘中で、館跡の発掘は概ね終わっていたようです。 (大友館発掘現場) 驚いたのは、この館跡の場所は大分市の一等地にあるということです。 また、館跡にはマンションなどもあったようで、それを移すとなる...
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大友宗麟の都豊後府内(大分市)

(府内古図) 上記の図は府内の古図である。 中央左に宗麟を初め大友代々の館大友館がみえる。 その左下には大友氏の菩提寺万寿寺、同じ大友館から上に二つの通りを経て「ダイウス堂」がある。 「ダイウス堂」は大友宗麟時代の教会があったと...
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美しき府内城

大分府内城は大変に美しい城でした。 ここに往時の姿を再現してみましょう。 以下の図は府内城の縄張りです。 堀が効果的に廻されて、水の城というイメージです。 以下は復元図です。 現在は本丸の堀は埋められておりますが、その...
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大分府内城天守閣

(府内城天守復元図) 前回ご紹介した大分市内にある府内城は本丸の堀が埋め立てられたせいで、現在の縄張りに鋭さは見えませんが、大きな天守台はかなり迫力があります。 この上に立っていたのが、上図の四層の天守閣です。 破風はなく...
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大分官庁街にそびえる府内城

(府内城 内堀と櫓) (府内城 天守台の石垣) 大分訪問の初日、宿泊したホテルのそばに江戸時代の府内城の跡があるというのでさっそく夕方、散歩がてら行ってみた。 城は大分市のメイン通りにあり、道路を挟んで県庁と市役所のビルが建っ...
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平家の一大拠点 京都六波羅

京都市東山区といえば、清水寺や三十三間堂、平安神宮、銀閣寺などのある今や有名な観光地であるが、その一角、東山の西麓東山区五条通りに「六波羅蜜寺」という寺院がある。 現在は朱塗りの本堂と宝蔵を残すだけのこじんまりとした寺院になっているが、平...
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義経の戦い(飢餓と疫病の時代3)

この状況を知った義経は自ら平家追討に乗り出すことを決意した。 義経は当時頼朝から都の守護を命じられていたが、後白河法皇に嘆願して許しをもらい単独で平家追討に向かったのであった。 義経が摂津(大阪府)渡辺の津から船で四国に渡ろうとしたとき...
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義経の戦いー飢饉と疫病の時代2

当時の記録『方丈記』によれば、「春・夏は日照り(干ばつ)、秋には大風、洪水が発生し、五穀がことごとく生産できない。これによって、国中の人々は土地を捨てて、国境を出、家を捨てて山に住む。乞食は路のほとりに充満し、嘆き悲しむ声が消えることはない...
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