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「川角太閤記」巻2を読む 丹羽長秀、秀吉を援護する

丹羽五郎左衛門殿が申されたことは、「右に申したごとく、勝家殿は腹を立てられたかもしれないが、上様、京都に於いて切腹なされたそのとき、筑前守は中国備中で大敵の毛利輝元の軍と指し向い、その身の危険を顧みず、播州へ帰城し、三日と休息せずに、即時に...
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「川角太閤記」巻2を読む  岐阜城会議

今週は南新宿の生涯学習センターで講演があり、約二時間お話をさせていただきました。 会場を訪れると、何と参加者の皆様は8割が女性のお方でしたので、急遽、女性の皆様用にお話をアレンジしました。 喜んでいただけたかな。 さて、「川角太閤...
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「川角太閤記」巻2を読む 岐阜城で織田家重臣会議始まる

先週、八王子ロータリークラブ様からお招きを受け、卓話として歴史講演をさせていただきました。 慣れない場でしたが、皆様、熱心に聞いていただいたので、無事に終わりほっとしております。 明日は南新宿で生涯学習の皆様に二年ぶりの講演をさせていた...
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「川角太閤記」巻1を読む 山崎の合戦 光秀の最期

光秀方も山崎の東町の頭までも人数を打ち出し、互いに備えを立てたところ、山崎松山へ明智が鉄砲大将をさし登らせた。 そこを中村一氏が発見し、先の折り懸けの目印のところに行って、五寸すはひを良き時分と見計らい、真ん中と思われるところへ鉄砲を掛け...
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「川角太閤記」巻1を読む 山崎天王山の争奪

秀吉はお供に十騎ばかりを召し連れ、「光秀に夜討ちを入れたら、道は良い街道筋である。そうであるなら、返り夜討ちすべきである。味方の勢二町ばかり引きのけて、悉く人数を備え、一人も立たざるように、のぼり・指物無用である。道具以下も伏せさせよ。鉄砲...
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「川角太閤記」巻1を読む 秀吉、勝竜寺城付近に布陣す

秀吉が尼崎に到着して禅寺はないかと尋ねたところ、小さな庵が一つ見つかったので、秀吉はそこで休息を取られた。 「上様御切腹の知らせが備中高松に届いて以来、精進を守ってきた。はや敵近くまで来た以上、合戦に及ぶしかないが、年を取ったせいか、空腹...
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「川角太閤記」巻1を読む 秀吉、摂津の武将たちと合流し、明智討伐に向かう

秀吉は風呂からあがるとお粥を召し上がられた。 堀久太郎へは、籠城の用意などせず、金奉行、蔵奉行に命じて金銀・米をすべて出させ、「今度は大博打を打ち、お目に懸けましょう」と伝えた。 久太郎が言うには、「仰せのように、いよいよ博打の時が来た...
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「川角太閤記」巻1を読む 秀吉、姫路に到着す

備前から馬を早められたが、途中途中で早飛脚が到来した。 その中に摂津の中川瀬兵衛、高山右近、塩川党らの人々からの注進があった。 内容は「周辺に聞こえていることだが、明智が近江の安土の城へ仕置きに向かっている。秀吉が西国を難なく逃れたのは...
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「川角太閤記」巻1を読む 秀吉軍備前に入る

秀吉は六月四日丑の刻(午前二時)に陣を引き払い、備中を過ぎ、備前に入ったところ、福岡の渡りにて大水が出て、簡単に渡ることができそうにないので、福岡に陣を取り、在所の庄屋、大百姓を人質に取り、竹貝を吹いて、彼らを人質に取ったことを知らせた。 ...
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「川角太閤記」巻1を読む 秀吉軍の追跡を断念した毛利家

毛利家が上方に置いていた者たちは午後八時ころ、到着なされた。 「信長公二日午前二時ころに切腹なされたそうだ」とのこと。 詮索すると、四条堀川の通りに鉄砲が厳重に配置してあるようである。 町人もこれはどうしたのだと不審がり、町々の木戸を...
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