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『川角太閤記』巻2を読む 秀長、姫路に帰還する

次の日、美濃守(秀長)は越前の勝家のもとを発たれた。 播州にて歓待したように、二三里も北庄より送られたところに仮の館を建てられ、御馳走をなされたそうだ。 黒い馬、葦毛の馬、二つ鞍を置かせて、「まずまずの馬であるが、長い道のりなので使って...
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『五輪書』地の巻に学ぶ②

安倍元総理の事件は、本当に痛々しく悲しい事件でした。 もうこんな事件は二度と起こしてはいけない。 命の重さを、生きていることの素晴らしさを、今日も『五輪書』に求めてみました。 「武士は死ぬ道をたしなむべきである」 どんな人間も死...
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残念な悲しい出来事 『五輪書』に学ぶ

本日、残念で悲しいニュースが入って来ました。 阿倍元総理が、卑劣な銃撃で倒れてしましました。 ただただ、回復を祈るばかりです。 主義主張は違っても、気に入らなくても、暴力で、その相手の命を奪うことなど絶対に許せません。 そんな安易な...
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「川角太閤記」巻2を読む 秀吉、舎弟秀長を北庄に派遣する

来年岐阜より御上洛なさるときには、道中の御殿、秀吉が造営されるとのことは尤もである。 近江の材木をお取りしたいとのことは近江に申し遣わされている。 「その上、杣(そま)番匠の事、山城の在々、伊勢にまで早々と申し遣わすべき」と又左衛門殿へ...
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「川角太閤記」巻2を読む 前田利家、越前の柴田勝家のもとに帰る

勝家からの返事は「逗留は苦しからず、ゆっくりと逗留なさってください。何様にも隔心などはありません」とのこと。 この返事を秀吉に見せると、心安くなられたようである。(その後、数寄屋は無事に完成した) 天正十年九月二十日の朝の数寄屋で御茶が...
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「川角太閤記」巻2を読む 柴田勝家、前田利家を姫路に派遣する

大名衆より返事がないことを聞き届けると、大徳寺へ参詣を遂げられ、新しく建立した総見院の御影の前で一番に焼香なされたことを越前の勝家が聞いて、「もはや筑前をだまそうとしても中々だまされることはない。早く何とかしなければ」と、工夫分別なされて、...
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「「川角太閤記」巻2を読む 秀吉の智恵比べ 

秀吉は考えて、宿札を殊の外たくさん書かれ、その札に羽柴筑前守鉄砲大将、弓頭、名前がある人はもちろん、名字もない人までも何某、誰がしと書きつけた宿札を洛中洛外に打ちまわされ、大津、伏見、深草、醍醐、山科、嵯峨、かような在々まで隙間なく打ちまわ...
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「川角太閤記」巻2を読む 秀吉の企て

秀吉は、そのとき、播磨で牢人たちを集め、噂がたたないように、武具以下に至るまでもれなく内々で用意するよう仰せ付けられた。 柴田への返事として常ならばそのまま上洛すべきところを、勝家を欺こうと思われ、新しく寺や御影などを仰せ付けられるのが尤...
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「川角太閤記」巻2を読む 秀吉と勝家の確執

秀吉はすぐに蜂須賀彦衛門、黒田官兵衛、中村孫平次らを召し寄せられ、「明後日のお祝いの日、この秀吉に城の二の丸で腹を切らせるための談合が行われたようである。勝家のところで決まったようだ。こうなれば、早々とここを去って国へ帰るらねばなるまい」 ...
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「川角太閤記」巻2を読む 丹羽長秀、秀吉の危急を救う

柴田勝家は宿舎で、「御一門、我が身もまるで秀吉に礼をしているようで不快な事この上もない」とつぶやいているところへ、滝川左近、丹羽五郎左衛門、その他が夜に柴田のところへ来ていたが、滝川左近が言うには、「御一家衆、勝家を初めとして筑前守に御礼す...
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