高天神城の落城

高天神城はこれまで遠江の徳川領の中で、六年間、孤立しながらも何とか命脈を保ってきていた。
さらに、城を守っていたのは、甲斐・信濃という武田氏の領国より集められていた直属の兵であった。
それが分かっていたからこそ、勝頼はこれまでは何度も援軍に駆け付けていた。
そして、今度も勝頼は城の救援に駆けつけようとしたが、先年同盟を破棄した北条氏に進路を妨害され救援がなかなか出来ずにいるところを家康に落とされてしまったのであった。家康は、勝頼が救援にとまどっている間に高天神城の周辺に次々と付け城を築いて、城を完全に包囲し、落城させてしまったのであった。
「武田は高天神城を見殺しにした。」
この高天神城の落城、そしてその救援に失敗した勝頼の評価は一気に低下し、そのリーダーシップは疑問視され、武田家内部の結束にも暗い影を落とそうとしていた。特に信長はこれを天下に喧伝し、武田の凋落ぶりを強力にアピールしたのであった。
「もう一度武田の旗を天下に翻したい」
勝頼はその建て直しをはかるために側近であった長坂氏や跡部氏らを武田家の重臣として登用し、体制の一新をはかろうとした。
しかし、これには長篠の合戦で死んだ信玄以来の重臣たちの後継が大きく反発した。
「勝頼様はこれまで命がけで武田家に奉公してきた我ら一族を何とお考えか」
長篠で勝頼を守るため死をもって戦った武田家の宿老の後継者に勝頼は形の上では何も報いようとはしなかったのである。武田家はいつしか勝頼の重臣たちと信玄からの重臣の子たちとの間に亀裂を生んでいった。

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