宣教師の見た秀吉⑫

「司祭たちは取り合えず一室を用意し、関白をそこに通した。彼らはそこで関白及び同行してフスタ船に入って来た武将たちに幾つかの菓子を供し、若干のレモン漬けや生姜、及び少量のポルトガルの葡萄酒を土産物として持ち帰られるようにと言った。彼は二三度繰り返して、予の敵が毒を混入する恐れや疑いがあるから、それらを自分のところへ運ぶ際にはすべて良く封印して来るように十分心掛けてもらいたいと述べた。さらに、彼は再度フスタ船のポンプを操作せしめた」
(権力者として常に命を狙われている秀吉の注意深さが見て取れる。)
関白はポルトガル語についても質問し、いくつかの言葉を日本語で書かせると、聞こえよがしにそれらを二三度発音して「予は伴天連の弟子じゃ」と言って笑わせた。
関白が冠っていた帽子はあまり上品に見えなかったので、コエリョは金色の紐の付いたダマスコ織で黄色いビロードの帽子を贈呈した。
関白は非常に喜んでそれを冠ると伴天連は船に留まるようにと言って船を降りた。
関白が浜に戻ると、そこには千名近くの博多の住民がたくさんの贈り物を持って彼を待っていた。
だが、贈り物の中の食料品はすべてフスタ船に運ばせ、金目のものは贈り主に返した。
関白がフスタ船を訪れたのは1587年(天正15年)七月十五日であった。

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