宣教師の見た秀吉⑩

秀吉は島津が降伏した後、再び肥後八代に寄ったが、そこに各地から参集した諸侯が秀吉の御機嫌伺いにやってきた。
「自分を訪ねて来る君侯や武将たちを、虫けら同然に見なし、彼らに対しても、下(九州)の殿たちに対して行ったと同様に彼奴(きやつ)呼ばわりで話をしていた」
八代の城には僧侶を交えた多くの男女が捕虜として収容されていた。
彼らは関白に敵対した島津の家臣であったため斬首の運命が待っていた。
そこには副管区長のコエリョたち宣教師が来ていたが、捕虜たちはここから救い出してくれるよう関白に取りなしてもらえないかと両手を合わせて嘆願した。
関白はコエリョらが他のポルトガル人と訪問に来ていることを知ると、高台にある城から降りてきて、薩摩の屋形の屋敷で面接した。
関白は外座敷で深々と頭を下げる一行を見て「こちらにこられよ」手で合図し、挨拶が済むと、奥から美濃の干し柿を持ってくるよう命じた。
関白は通訳をしている旧知のフロイスを見ると「予は醜い顔をしており、五体も貧弱だが、予の日本における成功を忘れるでない」と言い、大坂から大軍を率いて、迅速に行動してきたこれまでの経緯を簡単に述べた。
さらに、関白はシナへの遠征について触れ、ポルトガル人の意見を訊ね、その言葉に「無常に満足した」という。

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