宣教師の見た秀吉⑤

秀吉の暗部
関白となった秀吉はおのれの出自を知る者が縁者を名乗ることを許さなかったようである。
「ある日、一人の若者が豪華な衣装をまとった二、三十名の武士を従えて、関白の住む大坂に現れた。若者は伊勢の国から来た者だが、関白の実の兄弟だと言った。若者を知る多くの者が、そのことを確信していた。関白は母親に、その人物を息子と認めるかどうか問い質した。母親はその男を息子として認知することを恥じたので、そのような者を生んだ覚えはないと答えた。その言葉をまだ言い終えるか終えないうちに、件の若者は従者共々捕縛され、関白の面前で斬首され、それらの首は棒に刺され、都への街道筋に晒された」
「関白はまた尾張の国に自分の妹がいるという噂を耳にした。彼女は農民で貧しい暮らしをしていた。関白は彼女に、それ相応の待遇を与えるからと言って、当人が望みもせぬのに都に召喚した。哀れな女は、天から幸運が授けられたと思い込んで、出来るだけの準備をし、幾人かの婦人たちに伴われて都に来た。しかるにその姉妹は入京するやいなやただちに捕縛され、他の婦人たちもことごとく無残にも斬首されてしまった」
以上のように宣教師フロイスは記している。
秀吉は自らの出自、特に母親の関係からか、このように兄弟・姉妹を名乗るものがあったようである。
しかし、秀吉はそれを一切認めなかった。
それを許せば、際限なく秀吉の係累が現れることを危惧したのかもしれない。
現代のようにDNA鑑定がない限り、兄弟・姉妹を特定することは事実上困難である。
秀吉は素性の確かな者以外はこの世から抹殺することを決めていたのであろう。

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