佐和山の思い出10

佐和山の山頂周辺、つまり本丸があったところ周辺にはわずかであるが石垣の残石、石垣に組み込まれていたであろう巨石、鏡石を見ることができる。
さらには、その辺りを注意深く歩くと瓦片も落ちていることがある。
私は本丸南の直下、多分この辺りは本丸へ入る門があったと推定されているところであるが、一部腰曲輪状になっている、ここで赤茶けた平瓦片を拾ったことがある。
赤茶けた瓦はまさに焼けた痕跡であり、もしかしたら、関ヶ原合戦で焼け落ちた本丸にあった建物、天守や櫓、門など屋根に噴かれた瓦の一部かと想像が膨らんだものである。
本丸のすぐ西、西の丸と称されている曲輪にはかつて硝煙蔵があったとされているが、そこには本丸に対して曲輪を横断する細く長い土塁が今も残っている。
これは高低差が高い本丸方面から流れてくる雨水を防ぐためのものであったのか。
ここにも瓦片、小さな破片がいくつも落ちていた。
言い伝えによると、佐和山落城の際、硝煙蔵も火を受けて爆発したという。
以上のことから、少なくとも本丸は高石垣で囲まれ、そこには鏡石として巨石も使用されていた。
さらには、本丸、直下の西の丸には瓦噴きの建物があったということになる。
現在はただの土の城と化し、曲輪の虎口もはっきりしない佐和山城だが、ようく観察すると「三成に過ぎたもの」とされた 高石垣を持ち、天守、櫓を持っていた城の痕跡が今も残っていることが分かる。
佐和山城を歩く楽しみの一つはその痕跡を見つけることにある。

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