「古城図」を見て滝山城を歩く2

「慶安古図」滝山城を描いた人物は、軍学に通じ、城の巧緻な縄張りを読み取れる力をもっていたことは間違いない。
また、「慶安古図」を描いた当時、滝山城は大手門の土塁をはじめ現在では見られない数々の遺構が残っていたことであろう。
しかし、同時に城跡はすでに樹木、草木に覆われ、良く見えない箇所も多かったと思われる。
それでも、繁茂した木々の間を進み、一面生い茂った草をかき分け、曲輪を虎口を、馬出を、堀を正確に記そうとした意志が伝わってくる。
滝山城の縄張りは巧緻で、相当な実力がないと読み取ることはできない。
古図の製作者は、城跡を歩きながら、一つ一つ縄張りの謎を解いていったことであろう。
大手口はなぜ坂道なのか、大手門はなぜ大手の奥まったところに構築されたのか。
千畳敷はなぜ平虎口なのか、千畳敷東にある小規模角馬出の意味は。
そこには、これでもか、これでもかと考え抜かれた築城者の仕掛けが迫ってくる。
「さあ、解けるものなら解いてみろ」
そう言わんばかりの数々の難解な築城方程式が思わぬところに仕掛けられている。
滝山城は行く度に常に新しい発見がある。
滝山城とはそんなすごい城である。

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