慶長の山城 関ヶ原松尾山城14

家康が美濃赤坂に到着すれば、東軍が勢いづくことは確実であった。
しかし、当初の家康は赤坂で秀忠率いる3万5千の徳川軍を待つつもりであったろう。
そして、三成も大垣で立花軍、小野木軍の関ヶ原到着を待つつもりであったろう。
だが、その両者の思惑を打ち砕く出来事が関ヶ原合戦前日に発生した。
それは、小早川一万五千の兵が松尾山に布陣したという知らせであった。
松尾山城は特別な陣城であった。
万を超える大軍の布陣が可能で、防御力に優れ、しかも貴人を迎えるために丁寧な普請が施されている。
しかも、本丸からは関ヶ原全体が手に取るように見渡せる。
まさに、関ヶ原に布陣する三成方の司令塔になるべき城で、そこには大将ともいうべき特別な人物が入るべき城であった。
松尾山城は関ヶ原合戦前日まで、大垣城主であった伊藤氏が番をする形で守っていた。
伊藤氏の役目はしかるべき人物が城に入城するまで番をすることであった。
だが、そこに予期しない小早川秀秋が伊藤氏を城から追い出すようにして強引に入城してきた。
小早川はいったい何の目的で松尾山に入城してきたのか。
この小早川の入城を家康、三成はどう受け取ったのであろうか。

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