平家の一大拠点 京都六波羅

京都市東山区といえば、清水寺や三十三間堂、平安神宮、銀閣寺などのある今や有名な観光地であるが、その一角、東山の西麓東山区五条通りに「六波羅蜜寺」という寺院がある。
現在は朱塗りの本堂と宝蔵を残すだけのこじんまりとした寺院になっているが、平安時代後期には広い境内地と多くの伽藍をもつ大寺院であった。
この「六波羅」の名を有名にしたのは、六波羅蜜寺の境内地を中心に平家一門の邸宅がずらっと建ち並んでいたからで、当時「六波羅」といえば、寺よりも平家の本拠地を指していたほどであった。
清盛の時代、「六波羅」には、平清盛の泉(いずみ)殿(どの)、弟頼盛の池(いけ)殿(どの)という邸宅を中心に、最盛期には一門一族はもとよりその従者まで含めると「三千二百余り」の屋敷があったという(『平家物語』)。
その規模は南北五百メートル、東西六百メートルにわたり、その周囲は「惣門」「南門」などの門をもつ外塀で厳重に囲まれた京都における平家の一大要塞であった。
現在、この六波羅の地には平家の邸に代わって現代の住宅が密集しており、六波羅蜜寺がなければ、そこに清盛をはじめとする平家の邸があったことなど想像もつかない。
ただ、寺の境内には清盛塚が、宝蔵には鎌倉時代の作で国の重要文化財となっている「清盛坐像」があり、それらがこの寺と清盛との関係の深さを物語っている。

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