川中島合戦雑記40(海津城の築城構想2)

そんな海津の地に信玄が拠点となる城を築くべく目をつけたのはさすがといわざるを得ない。
しかし、同時に、そこに城を築くにあたってはクリアしなければならないいくつかの課題があった。
というのは、海津の東西南にそびえる山々は確かに敵の侵入を阻む障害ではあるが、逆にその山々に敵の侵入を許すと平城である海津城は山々から城内すべてが俯瞰され丸見えになってしまうという大きな欠点をもっているからである。
『甲陽軍鑑』にいう妻女山への越後軍の布陣は、まさに謙信がこの欠点を逆手にとった作戦であるといえよう。
妻女山に布陣されたことにより、海津城の城内は越後軍から丸見えになり、城に終結した武田軍の動きは筒抜けになってしまい、結果的に武田軍としては何らの動きも取れなくなる。
そこで、敵に妻女山をはじめそれらの山々に侵入されない手段を講じる必要がある。
それにはまずこれらの山々に入る通路を封鎖しなければならない。
前回、海津の地は交通が至便であるといったが、それは海津の東の山に北国街道候可峠が通り、西の山に北国街道の支道が通り、南の山には小県へ抜ける地蔵峠が通っているからである。
しかし、この交通の至便さは、同時に、海津の三方を囲む山々にはいつでも敵の侵入が予想される状況にあることを示している。

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