関ケ原に残るもう一つの陣城


(玉の城山遠景)

関ケ原には、松尾山城の他にもう一つ新たに築かれたと思われる陣城の遺構がある。
それは、関ケ原の西、「玉」の集落から2キロ半ほど東の奥に入ったところに地元で「玉の城山」と呼ばれる標高307.5メートルの山上に築かれている城である。
地元の伝承では、南北朝時代に清和源氏の流れをくむ佐竹義春が足利尊氏に追われてここに入ったとも、戦国時代、竹中氏の家臣杉山内蔵助が一時在城したとも伝えられているが、詳細は分からない。
『美濃明細記』には、「不破郡山中村北の山、城主知らず」とあり、この城には明確な城主がいなかったことが分かる。
通常、集落のそばにある山は合戦時に領民の避難場所であることが多く、この山ももともとはそのような性格をもった山であったのかもしれない。
ただ、「玉の城山」といわれる山は、「玉」の集落から2キロ半と少し離れており、山麓は近年まで湿地帯で、かなり足場は悪かったようであるから、避難所としては適していたかどうか。
この城山の登山道は初めは緩やかだが、途中から急峻な山道に変わる。
それでも、山麓から30分ばかり急な山道を登って行くと、山頂に達する。 
山頂は削平され、城の中心部ともいえる一つの大きな曲輪になっている。
今は木が生い茂って山下の景色はあまりよくは見えないが、関ケ原合戦当時は山頂からは関ケ原の全景が良く見渡せたに違いない。
陣を布くにはかっこうの場所である。

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