今年最後の歴史講座

今週26日(火)、今年最後の「歴史講座」を行いました。
今回は「どうする家康 総集編」と題して、受講者の皆様からの質問や疑問を中心に賑やかに楽しく行いました。
一応、今回は「石田三成の実像とは」という内容を予定しておりましたが、「どうする家康」の大坂の陣、真田丸、茶々と秀頼などについてのお話が中心になってしまいました。
秀頼は自刃し、遺体は焼失したのですが、首がなかったとされています。
昭和の終わりころ、大坂城付近の建設現場で、一つの東部の頭蓋骨が見つかりました。
その首は調べたところ、年齢は二十代、しかも歯の状態から栄養状態が非常に良かったことが分かりました。
しかも、その首は下に貝が丁寧に敷き詰められ、身分の高い、高貴な人物ではないかと推定されました。
驚くべきは、その首のそばに大型の馬の骨も同時に発見されたことです。
これは当時のポニーのような馬と異なり大型のアラブ馬だと思われました。
おそらく、この馬は首の人物が大事にし、常に乗っていた馬で、それゆえ、その人物のそばに埋葬されたのではないかと思われます。
秀頼は身長が180センチ以上もある大男で、「太平楽」という大型の馬に乗っていたことが分かっています。
そう考えると、みつかった首はやはり秀頼だったのではないか。
首が見つからなかったのは、秀頼のそばにいた何者かが秀頼の首を持ち去って、密かに、しかもわずかな時間の中で大坂城のかつての馬出曲輪に埋めたのではないか。
その首は、お寺に埋葬されたと聞きましたが、科学的調査を経て復元されたら、誰かはっきりしたのかもしれませんね。
歴史ミステリーです。

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