2021-03

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川中島合戦雑記9

川中島は単なる国境地帯などでは決してない。 そこは、信濃の他の地域とは異なる文化圏をもち、日本の阿弥陀信仰の本山ともいうべき善光寺を有する宗教上の聖地であり、また、日本中から参拝客と大量の物資が集積する政治経済上の要地でもあった。 まさ...
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川中島合戦雑記8

だが、信玄も謙信もその後も何事もなかったように戦を続けている。 特に、合戦の二ヶ月後の十一月には武田軍は同盟者の北条氏の求めに応じて、関東に進軍し、小幡氏の国峰城を落としている。 一方の上杉軍も同じ十一月に同じく関東の武蔵生山で北条軍と...
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川中島合戦雑記7

川中島合戦では武田・上杉両軍に多数の犠牲者が出たとされている。 その数は一説には一万人以上ともいわれているが、もしそれが真実だとすると、まさに川中島合戦は戦国最大の合戦であるいえよう。 この犠牲者の数について、関白近衛前久は謙信への手紙...
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川中島合戦雑記6

二つ目の疑問は、この鞍骨山の尾根には川中島合戦以前からすでに武田軍の手で五ヶ所に城が設けられていたということである。つまり、妻女山はその周りを武田軍の城に包囲された山であるということなのである。 当然のことながら、妻女山に布陣するにはそれ...
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川中島合戦雑記5

川中島合戦は、上杉謙信率いる上杉軍一万三千が武田軍の本陣海津城を見下ろす妻女山に陣を布き、武田軍がその背後を衝くため一万二千の兵を差し向けたことから始まっている。 妻女山は武田軍の領地の真っ只中にあり、そこに謙信が布陣するなど常識ではとて...
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川中島合戦雑記4

合戦は、お互いが自分の意志で行ったのではなく、互いの意思に反して出会い頭にぶつかってしまった事故のようなものであった可能性が高い。 そこでは、お互い誰が敵か味方かさえも分からないような混乱の中で合戦が続けられたことが考えられ、その中で大将...
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