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今年最後の歴史講座

今週26日(火)、今年最後の「歴史講座」を行いました。 今回は「どうする家康 総集編」と題して、受講者の皆様からの質問や疑問を中心に賑やかに楽しく行いました。 一応、今回は「石田三成の実像とは」という内容を予定しておりましたが、「どうする家...
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ポスト秀吉⑲

奉行たちとの確執はそれだけではなかった。 文禄4年(1595)、正月、朝鮮への出兵はすでに三年を経ようとしていた。 日本軍は、果敢に進軍し、一時は朝鮮の首都漢城(現在のソウル)を確保する勢いであったが、朝鮮の義兵によって兵糧の輸送路を経たれ...
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ポスト秀吉⑱

このとき、実戦の現場でこれまで長期間戦ってきた黒田長政、蜂須賀家政、加藤清正らと秀吉の命を受けてただ一度やってきただけの軍監との間には朝鮮での戦をめぐっての温度差、認識の差があった。 軍監福原長堯もこの理由を現場の諸将に質し、彼らと話し合え...
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ポスト秀吉⑰

このときの日本軍の軍監は三成の娘婿の福原長堯(ながたか)らであった。 福原長堯らは、この日本軍の壮絶な勝利を見ながらも、日本軍が連合軍を追撃せず、結果として彼らを討ち逃がしてしまったことを帰国後、上洛して秀吉に報告した。 この報告を聞いた秀...
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ポスト秀吉⑯

先に、奉行たちは家康と不和になったとき、輝元に奉行衆との連携を呼びかけた起請文を輝元に提出させているが、奉行たちは家康に対抗する勢力として、秀吉の裁定を曲げてまでも中国120万石の毛利を何としても陣営に取り込みたかった。 家康に対抗するには...
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ポスト秀吉⑮

、家康を大老から除く企てに失敗した奉行たちは逆に厳しい状況に追い込まれることになり、私婚は不問に付され、奉行らは謝罪することになった。 家康の行った私婚の企みは、秀吉の遺言に背くアンフェアな行為であった。 そこには、露骨に有力な豊臣大名を自...
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ポスト秀吉⑭

秀吉死後、家康は六男忠輝に伊達政宗の長女を娶り、福島正則の子息正之と蜂須賀家政の子息豊雄に家康の長女を嫁がせるとの約束を行った。 これは、秀吉の存命中である文禄四年(一五九五)に発せられ誓書までも取り交わされていた、大名間の私婚の禁止令への...
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ポスト秀吉⑬

しかし、家康は秀吉の「御意」に何らの反対もせず、それによって朝鮮への出兵は実行されることになった。 秀吉は、朝鮮への出兵を実行するにあたって、政権中枢である大老筆頭の家康と前田利家に出兵に賛成してくれるよう密かに根回しをしていた。 秀吉はそ...
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ポスト秀吉⑫

家康は秀吉の存命時には、秀吉に従順で忠実で豊臣政権の重鎮として振舞っており、諸大名からの信頼も厚かった。 秀吉が朝鮮出兵を実行するにあたって、大きな不安をもっていたのは豊臣政権の重鎮である家康や前田利家の反対であった。 秀吉は朝鮮の侵略が成...
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11月度の「歴史講座」

11月度のNHK学園「歴史講座」は、大河ドラマ「どうする家康」にちなんで、家康の重臣たちや家康を取り巻く妻、側室などについて史実に残されている実像について学びました。 家康No1の重臣酒井忠次は晩年を京都で過ごし、しかもその土地は秀吉から与...