歴史研究家 三池純正の公式ブログです。

Blog

慶長の山城 関ヶ原松尾山城21

脇坂は関ヶ原以前、確かに家康に書状を送っている。 しかし、これはかなり以前のことでこれがそのまま家康に通じているという証拠にはならない。 脇坂はその後大谷吉紹と共に行動しており、関ヶ原への布陣も大谷と同時期に行っている。 …

慶長の山城 関ヶ原松尾山城21

松尾山山麓の脇坂の陣は関ヶ原方面に虎口を開き、空堀と土塁を設けている。 これだけみれば、味方であるはずの石田方を警戒しているように思える。 しかし、脇坂陣は背後の松尾山に対しても切岸を設け、これも警戒しているように思える …

慶長の山城 関ヶ原松尾山城20

松尾山城に入った小早川軍15000が家康方となって石田方に攻撃をしかけたとしても、山麓には石田方の部隊、具体的には脇坂、小川、赤座の部隊がおり、それを阻むように配置されている。 小早川軍が松尾山城を下りたとき、まずそれら …

慶長の山城 関ヶ原松尾山城19

小早川秀秋については、ここまでは完全に石田方として行動していた。 だが、その間も黒田長政らから家康方につくよう何度も説得されていた。 黒田らは最後は北政所の名を使ってまでも説得していた。 確かな文書からは分からないが、関 …

慶長の山城 関ヶ原松尾山城18

家康軍が関ヶ原に兵を進めるには、関ヶ原を通る中山道の隘路を突破できることが条件であった。 その一番のカギを握っていたのが、松尾山城である。 そこに誰が入るのか、また、入った人物は間違いなく家康方に寝返る。 その確証が得ら …

PAGETOP
Copyright © 三池純正公式ブログ All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.