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垂井・関ケ原の領主 竹中重門

岐阜城総攻撃の前日8月22日付の井伊直政の書状には、岐阜城を落としたら、次は佐和山城へ移動することが話し合われたと述べられており、諸将の一致した認識は岐阜城の次は佐和山城への総攻撃であった。 岐阜城が落ち、徳川軍が佐和山 …

徳川軍が押さえた菩提山城

徳川軍による岐阜城攻撃直前まで、菩提山城には大坂方の兵が入っていた可能性も否定はできない。 ただ、彼らはそのまま引き続いて菩提山に布陣することはなかった。 その理由は岐阜城が落城し、徳川軍がそこから大垣に近い岡山に陣を取 …

大坂勢が入っていた?菩提山城

竹中重門はこれから一週間ほど後の9月3日に小田原に到着した家康に使者を送り、家康は竹中重門に犬山城明け渡しにおける忠節を賞する書状を送っている。 このとき、菩提山城の話が出たかどうかは分からないが、竹中重門が犬山城を出る …

竹中重門と菩提山城

菩提山城に入ることを想定されていた人物とはいったい誰だったのであろうか。 確実に言えることは、現在の大規模な菩提山城は竹中氏時代の城ではなく、大改修されたものであるということである。 あえて、推測をするなら、竹中時代の菩 …

菩提山城は誰のために築かれた?

繰り返すと、本丸虎口の小さな角馬出、そして、本丸を囲む小さく浅い堀、それは本丸を特別な空間として、他の曲輪との間に差別化をはかっているのではなかろうか。 小さな角馬出は本丸虎口の儀礼的装飾であり、本丸周囲に掘られた小さな …

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