2020-11

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昔、佐和山に登ったこと⑤

だが、それは四百年前以上も前のことである。その屋敷地がなくなることは当然考えられよう。 しかし、それは、宅地開発などの造成事業や道路建設など、近年の開発で人為的にその土地が大きく改変された場合などであり、土塁や堀跡という人工的な構築物はそ...
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昔、佐和山に登ったこと④

石田三成については、江戸時代に著された『石田軍記』などには、「(三成は)江州石田村の地侍の子で家が貧しく、到底三成を養うことが出来なかったので、寺に送って小僧にした」などと描かれ、三成は貧しい家の生まれであることが強調されているが、これは最...
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昔、佐和山に登ったこと③

だが、消えていたのは城跡だけではなかった。 私は今度は同じ滋賀県内で、地上から完全に消え失せている石田三成に関係するもう一つの遺構に出会うことになった。 私は、佐和山を訪れた翌年、石田三成の故郷、かつての坂田郡石田村、現在の滋賀県長浜市...
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佐和山に登ったこと②

もう何十年も何の手入れも施されてないと思われる木々は生い茂るにまかせて、山の斜面を覆っていた。 また、その途中には倒木や藪が行く手を塞いでいた。 私は倒木を何本もまたぎ、蜘蛛の巣に悩まされながら、やっとの思いで山の斜面をよじ登った。 ...
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昔、佐和山に登ったこと。

今からもう40年もまえになろうか。 私は司馬遼太郎氏の『関ヶ原』を読んで、石田三成の城があったという彦根佐和山に登りたくて、東海道線を乗り継いで彦根までやってきた。 佐和山の山麓は彦根駅の北東五百メートルほどのところにあり、徒歩で十分ほ...
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