2021-02

ブログ

佐和山城下「聞書」の謎20

『彦藩並近御往古聞書』には、「井伊直政公、直孝公は神社などは木の橋のように思っており、ものの数にも数えないで一つ一つ潰していった。」とあり、民衆はその為政者の意志をちゃんと見抜いていた。 さらに、同聞書には、「役人たちの仰せつけだというの...
ブログ

佐和山城下「聞書」の謎19

まさに、神社・仏閣の破壊は家康の上意、命令によるものであったというわけだが、『当城下近辺絵図附札写全』という聞書には、「井伊直政公、直勝公の時代に彦根を開くとき、佐和山城より彦根辺りまで数多の神社仏閣を潰し、田畑にするようとの命令があった。...
ブログ

佐和山城下「聞書」の謎18

佐和山に城を築くということは、そこが単に要害の地であるというだけでなく、城がその山のもつ霊力というか宗教的な力で守られるという要素もあったのではなかろうか。 さらには、佐和山の西には強力な霊山である彦根山が存在している。そう考えると、佐和...
タイトルとURLをコピーしました