2020-10

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真田家と六文銭23

比較的信憑性の高い資料と言われている沼田真田家の家臣であった加沢平左衛門が江戸時代天和元年(一六八一)以降に著したとされる『加沢記』にも、幸隆は海野棟綱の次男で棟綱がその領地の内、真田、小日向、横沢、原郷、荒井など三百貫目の土地を譲ったこと...
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真田家と六文銭22

今も残る真田家系図には、微妙にその流れが二つの系統からなっていることが分かる。 「松代藩真田家系図」や「滋野世紀系系図」などその一つの系統は、真田幸隆を村上氏によって信州小県から追放され上州に逃げた海野家の当主棟綱の子としているか、もしく...
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真田家と六文銭21

信玄が信濃侵略を推し進めていく限り、近い将来必ず村上義清と衝突せざるを得ない事態がやってくる。 信玄が村上氏を倒せば、真田郷の奪還も夢ではない。 しかし、それには、幸隆自身が信玄に近づき、信玄のもとで村上氏打倒の先兵として立ち上がるしか...
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真田家と六文銭20

幸隆は様々な情勢分析から上杉氏の力の限界を知り、上杉氏にはもう真田氏や海野氏を再興させるだけの力にはないと判断したに違いない。 『加沢記』には「関東管領上杉憲政という人物は信州で聞いていたよりなお愚かな大将である。」という記述があるが、あ...
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