美濃垂井 きつい登りの南宮山

岐阜県垂井は、関ケ原への入り口で、ここを押さえることは戦術上大変重要である。
そこに、中山道を見下ろすようにそびえているのが南宮山である。
南宮山と呼ばれる山は南宮大社の裏山になり、山下から見ると稜線はなだらかで険しそうな山には見えない。
さらには地図上からも一見等高線はゆるやかそうに見える。
だが、実際に登ってみると登山道はかなりの急傾斜で、麓から一時間もの間、急傾斜のきつい山道を登り続けなければならない。
登山道はいくらか整備されているとはいうものの、途中何回も休みをとりながらでないととても一気には登れない。
普段から足を鍛えた人でないとかなり登るのはきつい。
かくいう私も情けない話しだが、初めてこの山を登ったとき、途中で体調を崩しリタイアしてしまった。
しかし、驚くことにこの山を登る地元の方は大変に多い。それもほとんどが年配者である。
そのうちの一人の方など、「毎日この山を登るのが日課で、ここはちょうどよいハイキングコースですよ。」と話していた。
こんなきつい山を毎日登るなどとても信じられない。
まさに「アン・ビリーバブル」である。
この地域の年配者の方は本当に元気である。
私はそれから何とか体調を整え、二度目の登山でやっと頂上までたどりつくことができた。
だが、そこまで行くのに体がきつく、呼吸が乱れて時間がとても長く感じたことを今も覚えている。
しかし、このきつい登りを実際に体験して、私の中に一つのある素朴な疑問が浮かんだ。
それは「なぜこんなにきつい山の上にざわざわ陣を布かなければならなかったのか」ということである。
確かに車も自転車もない時代の人は現代の人よりはずっと健脚であったとは思う。
だが、陣を布くということは単に山を上り下りするだけではない。
大量の人、馬、荷物をそこに運ばなければならない。
水の確保も大変だったであろう。

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