佐和山と修験信仰

佐和山が修験者の聖地ともいうべき山であったとしたら、佐和山に城を築くということは、そこが単に要害の地であるというだけでなく、その山のもつ霊力というか宗教的な力で守られるという要素もあったろう。
それだけでなく、修験者、山伏は関所の通行の自由を保障されていることから、全国津々浦々どこにでも入り込むことができ、そこから諸国のいろんな情報を集めることもできた。
さらには彼らは情報収集だけではなく、薬草や鉱山技術にも精通し、必然的に諸国からの様々な物資の流通にも大きく関わっていたと考えられている。
彼らは合戦ともなれば、放火、敵の後方かく乱、情報収集何でもやる、領主にとって味方にすれば大変に貴重な存在であった。
そして、彼ら修験者たちの山岳信仰つまり伊吹山信仰の大きな拠点であったのが、石田三成が幼少期に修行をしていたとされる坂田郡の観音寺であるとされているのだ。
この観音寺は伊吹四護国寺の一つで伊吹山下院にあたるという。
この観音寺、実は三成の生家があった石田村から峠一つ越えたところにあり、少年時代の三成が預けられていたと伝えられている寺でもある。
三成と秀吉の出会いのエピソードとして有名な三献茶もこの寺が舞台とされている。

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