城に避難した領民たち

戦国時代、城が敵に攻められると、城の近辺にいる住民はいったいどうしたのであろうか?
当時の戦争というのは、いろんな意味合いをもっている。その一つが攻めてきた敵の兵士たちは領民たちのもつ金品はもちろん領民たちまで略奪するということである。それは、一つには、彼らが戦争に参加するにあたっては領主から食料などが一切支給されないことによる。
まさに、それらは現地で調達するしか術はないのである。
そのため、領主は攻めて行った先々で、彼ら兵士にに好きなだけ略奪をさせる。
彼ら兵士は戦争のないときは、村で農耕などに従事しているが、いったん、戦が始まると雑兵として従軍する。それは領主の命ということもあるが、彼らが戦争に参加するのは、やはり、略奪というう旨味があるからであろう。
「まさに戦は一度やったらやめられない。」
中には略奪した金品で懐が潤って自慢げに村に帰ってくる兵士もいたことだろう。また、先々で金品のみならず人を略奪するのは、略奪した人を後に金で売ったり、連れ帰って奴隷にするためである。
まさに戦争の現場は殺し合いよりも、このような略奪行為がほとんどで、彼らある意味、は金もうけのために戦争に参加していたといってもよいかもしれない。
この日本の戦国時代というのは、地球的寒冷期で、飢餓、疫病の被害が最も大きかった時代である。彼らが略奪にはしるのも生き残るための手段の一つであった。
また、それゆえ、攻められる側の領民たちは合戦になると家族全員で安全な場所に避難した。
彼らがどこに避難したかというと、基本的には近くにある領主の城に避難した。城は軍事施設であり、敵の攻撃に耐えうるように作られている。避難するには最高の場所である。
また、領民を守ることを責務とする領主も彼らを受け入れる義務があった。
戦国時代、日本に来日していた宣教師ルイス・フロイスはその書簡の中で「町といわず、村といわず、その住民は近くの最も安全で堅固な城塞に引き籠る以外に救われる道はなかった」と述べている。
さらに領民たちは避難するにあたって金品を敵に分からないように家の庭先や避難先に埋めた。
同じくフロイスは「貧しい村人たちは、米、衣類、台所用品などわずかな道物を地中に埋め」と述べている。
彼らは戦が終わったら、それを掘り出して持ち帰るのだが、みんな同じことをやったはずなので、中には埋めた場所が分からなくなってしまった者もいたことだろう。
しかし、城の広さにも限度がある。そこに一度に大量の避難民が押し寄せるとどうなるか。その混乱ぶりは想像に余りある。
フロイスはその様子を「城内には蒔きも食べ物もあるわけではなく、小さな井戸はたちまち涸れてしまい、一面のぬかるみとなって、悪臭を放つ泥土の上で群衆は雪の世を過ごし、乳児や幼子は飢えと寒さで泣き叫んだ。」と克明に綴っている。
このように、城内には食糧も十分な水もなく、それに何よりトイレが足りず、飢えと衛生状態の悪さで子供は泣き叫び、さらには老人たちは体を壊す者も多かったと思われる。もし、その中で疫病でも発生したら、瞬く間に広がっていき、多くの死者を出すことにつながる。これでは敵との戦争に勝つ前に自分たちが先に死んでしまうkとになる。

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